聖書(せいしょ)の中(なか)の動物達(どうぶつたち) 陳清祥譯20130916
聖經裏的動物們
カラス(からす)の知恵(ちえ)よりも
來自烏鴉的智慧
西洋文化(せいようぶんか)では、カラス(からす)は死(し)や闇(やみ)といった不吉(ふきつ)の象徴(しょうちょう)ですが、その起源(きげん)は聖書(せいしょ)ではなさそうです。旧約聖書(きゅうやくせいしょ)のノア(のあ)の箱舟(はこぶね)の物語(ものがたり)では、洪水(こうずい)の後(あと)ノア(のあ)は箱舟(はこぶね)から鳩(はと)を放(はな)す前(まえ)に、実(じつ)はカラス(からす)を放(はな)しています。カラス(からす)は聖書(せいしょ)に最初(さいしょ)に現(あらわ)れる鳥(とり)です。
西洋文化裏烏鴉被視為死及黑暗不吉利的象徵,但這並不是源自聖經的記載。
舊約聖經的諾雅方舟傳說記載著,洪水過後從方舟要放出鴿子之前,其實先放飛的是烏鴉。烏鴉是聖經裏最先出場的鳥類。
同(おな)じく旧約(きゅうやく)の列王記(れつおうき)で、預言者(よげんしゃ)エリヤ(えりや)が神(かみ)の命令(めいれい)に従(したが)って人里離(ひとざとはな)れたところに隠(かく)れたとき、食(た)べ物(もの)を毎日運(まいにちはこ)んでくれたのもカラス(からす)たちでした。古代(こだい)よりカラス(からす)は人間(にんげん)から遠(とお)いようで、でも近(ちか)くにいる鳥(とり)だったのですね
相同的在舊約列王記裏,以色列先知以利亞遵從上帝的旨意,離開村莊神隱時,每天運送食物給他的就是烏鴉們,自古以來烏鴉與人類相距甚遠,卻也是很近的鳥類呢。
新約聖書(しんやくせいしょ)のルカ(るか)による福音書(ふくいんしょ)12章(しょう)24節(せつ)には「烏(からす)のことを考(かんが)えて見(み)なさい、種(たね)も蒔(ま)かず、刈(か)り入(い)れもせず納屋(なや)も倉(くら)も持たない。だか、神(かみ)は烏(からす)を養(やしな)って下(くだ)さる」というイエス(いえす)の有名(ゆうめい)な言葉(ことば)があります。
新約聖經 路加福音12章24節「你想烏鴉、他不種、也不收。又沒有倉、又沒有庫、神尚且養活他。」 是耶穌基督有名的聖言。
都会(とかい)で街角(まちかど)のゴミ(ごみ)袋(ぶくろ)を漁(あさ)る彼(かれ)らの姿(すがた)をみると納屋(なや)や倉(くら)を持(も)たなくても人間(にんげん)の飽食(ほうしょく)の結果(けっか)である残飯養(ざんぱんやしな)われているなあ、と複雑(ふくざつ)な思(おも)いを抱(だ)きます。自然(しぜん)でも都会(とかい)でも、それそれの環境(かんきょう)でしたたかに生(い)き延(の)びるカラス(からす)たち。
當你看它們到在城市的街頭巷尾,啄食垃圾袋的樣子後,對它們沒有倉、也沒有庫、卻是靠著人們飽餐後的殘餘菜羹來眷養一事,會抱持著很複雜的思維。它們是無論在大自然裏或都市中,在各種環境下都能頑強生活的烏鴉們。
イエス(いえす)は私(わたし)たちを、そんなカラス(からす)よりも価値(かち)のある存在(そんざい)だと言(い)います。だとすれば、父(ちち)なる神(かみ)さまは生(い)き抜(ぬ)き知恵(ちえ)もカラス(からす)以上(いじょう)に人間(にんげん)に与(あた)えてくださっていることでしょう。ふとそんなことを思(おも)い、心(こころ)が軽(かる)くなります。
耶穌說過,比起飛鳥,我們人類是何其的珍貴呢。因此,身為天父的上帝,祂賜給人們是比烏鴉更高等的求生智慧呀! 一想到這件事,心情頓覺輕鬆多了。